FAQ
仏さまの拝み方・読経の仕方について教えてください。
仏前に灯明を上げ、お線香をたいて、正座して、合掌しましょう。そして大きく深呼吸をゆっくりと繰り返します。息を吸う時は鼻で吸い込み、吐く時は口を少し開いて、鼻と口から同時にゆっくりと吐きます。心が落ち着いたところで御本尊様のお姿を拝見して、そのお姿を自分の心に映すのです。
そして身も心も落ち着き、拝む御本尊様を心に留めましたら読経を始めるのです。昔から「お経は心で読め」と言われています。自分の声が自分の耳に聞こえる様に、高からず、低からず、大きくもなく小さくもなく、速くもなく遅くもなく、雨だれが落ちる様に同じ調子で静かに読むのです。お経の一字一句もおろそかにせず、自分の耳にしっかり聞きとらえて、心をお経の声に集中するのです。この読経の仕方は、一人で読経する時も、二人以上多人数でする時も同じです。この様に読経していますと、自分の唱えているお経が、ご本尊様が自分のためにお唱えになっていただいている様な境地になります。
勤行の仕方について教えてください。
仏道に精進するために、毎日一定の時刻に読経する事が勤行でありまして、ほんとうは、朝と日中と夜の三回でありますが、現在は朝と晩とになっています。声を立てて読むのを読経、声を出さずに読むのを看経(かんきん)と云います。しかしどちらにしましても、「経を読むに、たとい諳(あん)ずるとも本を看(み)るべし。恐らくは文を失い、或いは忘れあらんか」と教えられてあります様に、お経は必ず手に持つか、経机(きょうたく)の上に置いて読むのが正しいのです。
カタログの宗紋付きお経シリーズ/臨済宗檀信徒勤行に記載される虚空 法竹吹定・東明義はCD・カセット・経典に収録されているのですか。
虚空 法竹吹定・東明義はカセットのみに収録され、CDおよび経典には収録されていません。
浄土三部経は、浄土真宗の浄土三部経と同じなのですか。
はい同じです。浄土宗の教祖法然より親鸞が教授されたお経です。したがいまして浄土真宗の教えは「阿弥陀経」、「観無量寿経」、「無量寿経」という浄土三部経という経典に基づいているのです。
「正信偈」(または「正信偈」と「阿弥陀経」)が全文収録されたお経CDを探しているのですが、日本佛教普及会のお経CDには「正信偈」(または「正信偈」と「阿弥陀経」)が全文収録されていますか。
弊会のお経CDには「正信偈」(または「正信偈」と「阿弥陀経」)は全分収録されています。但し、和讃の箇所で地域によっては引用される箇所の違うところがあります。
「正信偈」は一般に、報恩のときと日常に使用します。
年忌のときは主に阿弥陀経、または、無量寿経、観無量寿経を唱えます。
般若心経の終わりの言葉について
経本には、「般若心経」で終わっているものと、「摩訶般若波羅蜜多心経」で終わっているものとがありますが、どちらが正しいのですか。
どちらも正しいのですが、「摩訶般若波羅蜜多心経」が正式で「般若心経」は前者の文字を省略して云っているのです。
「摩訶般若波羅蜜多心経」と「般若心経」の頭に「摩訶」とついているものは禅宗関係、「佛説」とついているものは真言宗関係になります。
禅宗関係とは具体的には何宗を指すのですか。
臨済宗・曹洞宗・黄檗宗です。
般若心経の正式名称は何ですか。
宗派により違いがあります。「佛説摩訶般若波羅蜜多心経」または、「摩訶般若波羅蜜多心経」と読み方の違いはあります。一般的に「般若波羅蜜多心経」、「般若心経」、「心経」などの呼び方があり、みな同じものです。
ちなみに、法相宗では「般若波羅蜜多心経」で、真言宗では上に「佛説」が付く「佛説般若波羅蜜多心経」、禅宗では摩訶から始まり、「摩訶般若波羅蜜多心経」となります。
般若心経の翻訳者は玄弉三蔵、法月三蔵、智慧輪三蔵、般若三蔵、不空三蔵、義蔵三蔵、羅什三蔵、菩提流支の九名とされています。玄弉三蔵本は「般若波羅蜜多心経」、義蔵三蔵は「佛説般若波羅蜜多心経」、羅什三蔵は「摩訶般若波羅蜜多大明呪経」、菩提流支は「摩訶般若波羅蜜那経」と、各人それぞれ翻訳している様にいろいろあるのです。
「般若心経・観音経」の経典・経本にある般若心経と各宗派の経典・経本や他店の経本の般若心経の内容に違いがありますが、どちらが正しいのですか。
「般若心経・観音経」経典・経本にある般若心経は玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)が訳された「般若波羅蜜多心経」を基にしております。また、他に八種類ほどの訳本がありますが、その意においてはなんら異なるところはありません。
読経はそもそも口伝であったため、読誦の仕方に諸説あり、それを経典に認めたことから経典にも諸説あります。
しかし、現代各宗派で使われている「般若心経」の経典は、旧漢字、新漢字の違いは有るものの統一されています。
天台宗の経典や真言宗の経典を基本にされるとよいでしょう。
「浄土真宗本願寺派門信徒勤行」、「真宗東本願寺門信徒勤行」の経典には符牒は付いていますか。
「正信偈」と正信偈の「念仏和讃」には符牒を付けています。
日常のおつとめシリーズの「真宗 正信偈・阿弥陀経」と「浄土真宗 阿弥陀経・正信偈」、この両者の違いはなんでしょうか。
各宗派のお経の始まりです。真宗は正信偈から始まります。浄土真宗は阿弥陀経から始まります。
「正信偈」のお勤めには「行譜(ぎょうふ)」か「草譜(そうふ)」のどちらを用いるのですか、それとも両方用いるのですか。
正信偈の読誦には何通りかありますが、一般的には「行譜(ぎょうふ)」と「草譜(そうふ)」の2種類の調子があります。お経の漢字の横に付いているハカセ(ヒゲのような印)が右側か左側かどちらに添ってお勤めするかによって決まります。 普通は右側のハカセに添ってお勤めするのが「草譜」で日常の勤行に用います。「行譜」は法要の時など日常よりも丁寧に読誦する場合に用います。
「浄土真宗本願寺派門信徒勤行」の読誦は「行譜」になっています。ただし経典にはハカセは附されていません。「行譜」は正確にはお経ではなく御念仏の教えに感銘を 受けた親鸞聖人がそれを偈文(うた)にして私達に表してくださったものです。後半部分に特徴があります。正式名称は「正信念仏偈」です。
「真宗東本願寺門信徒勤行」の読誦は「草譜」になっています。経典もお経の右側にハカセが附されています。
日常のおつとめシリーズの「般若心経・観音経」の音源(読誦)はどちらのお寺になりますか
日常のおつとめシリーズの「般若心経・観音経」の音源は京都・清水寺法務部監修になります。
宗紋付きお経シリーズの経典付きカセットの「般若心経」と「観音経」は」比叡山延暦寺法儀音律研究所による読誦を収録してありますが、天台宗の読誦の仕方とは違います。
「真宗東本願寺門信徒勤行経典」の「阿弥陀経」内の、「舎利弗。北方世界。有焔肩佛。最勝音佛。難沮佛。日生佛。網明佛。如是等」(80頁4行目)「如是等(にょぜどう)」の振り仮名のつけたかは「如是等(にょぜとう)」の間違いではありませんか。
「にょぜどう」と読んでいますが、振り仮名を付けるならば「にょぜとう」とするべきでした。本山の経典にも「とう」と記載されています。したがってこの部分は訂正を要します。
ただし元来、経典に仮名を付けることはなく、読経は師から弟子への口伝であったため、読誦の仕方も諸説並びに個性があります。「とう」と読むのが正しいのですが「どう」と読み聴こえることも個性のうちとお考えください。また他にも発音の不明瞭な箇所や経典と異なる箇所も有るかと思われますが、その箇所におきましては経典が正しいとご判断下さい。
「真宗東本願寺門信徒勤行経典」の「正信偈」は三首引きですか、六首引きですか。
正信偈の調子は正信偈の唱える和讃の数を云います。
「真宗東本願寺門信徒勤行経典」には全和讃が収載されており六首引きです。また、CD・カセットの読誦は経典通りですから同じく六首引きです。
「真宗東本願寺門信徒勤行経典」の「正信偈」に同朋奉賛の和讃を収載できませんか。
誠に申し訳ございませんが経典の組み換えはできかねます。
ご要望に応えることはできません。
臨済宗の東福寺派のお経と妙心寺派のお経とは同じですか。東福寺派なのですが妙心寺派のCDでも問題はありませんか。
問題ありません。臨済宗は東福寺派、妙心寺派など全部で13派ありますが、教義上の違いによるものではなく、お経は基本的に同じです。ただ各派によって節回しや木魚・鐘の打ち方などに違いがあります。
真言宗檀信徒勤行の光明真言「おん あぼきや べいろしやなう まかぼだら まにはんどま じんばら はらばりたや うん」は何回唱えるものなのですか?
光明真言を唱える回数に上限はありません。時間的余裕がなければ3回とか7回、祈願の程度により21回とか煩悩の数である108回とか目安が示されることもあります。一応、経典には「三唱」と記してありますが、CDの音源では7回唱えています。
寺院専用の佛教経本の自費制作を考えているのですが、貴会に制作依頼できるのでしょうか。
オリジナル佛教経本の自費制作も承っておりますので、詳細は直接お問い合せ下さい。